FC2ブログ

napper

犬のしつけインストラクター乳がんステージⅢbからのサバイバル挑戦

痛いのは

※今回の記事は長くて専門的でディープです。。。
 メンドクサイ方はスルーしてね。プリーズ。


飼い主さんがワンコを連れて相談に来たとき

まずそのコの様子をじっくり見る。
その時のそのコのしぐさや動きが
「そのコの声の手がかり」だからだ。

いきなりすぐにトレーニングには入らない。

とにかく、聴く。
ココロを澄まして、
感覚を研ぎ澄まして、

そのコが一体何をどう考えるコなのか、
ひとつの出来事をどうとらえてどう対処するのか

どんな学習がどう進んでいるのか
精神的キャパシティは
不安からのリカバリーは
見知らぬヒトへの親和性は
飼い主さんへの信任は・・

とにかく、出来るだけワタシが関与しない状態での
「素の状態でのそのコ」から
可能な限りの情報を見つけ出すエヴァリュエーション。

トレーニングという形で
ワンコの行動を変えようとするときに

ワンコの言葉や言い分に耳を貸さずに
いきなり食べ物(一種の弱み)を振りかざすのは
効率的じゃないし、何よりフェアじゃないよなあ、と思うから。



「本気咬み」という問題で
初めて飼い主さんがそのコを連れて相談に来て下さったとき

とにかく繊細で繊細で・・

視覚、嗅覚、聴覚、全ての器官が鋭敏すぎるほどに鋭敏で
どんな小さな刺激にも過敏に反応して
常に不安と恐怖と・・
それゆえのあらゆるものに対しての警戒と不信感。
「ああ、キミにとって今のこの世界って、辛いだろうな」って思った。

そのコの発するピリピリとした空気を肌で感じて
胸がぎゅっと痛くなった。


その時着けていた首輪は
トリミングサロンで暴れてしまった時に
元の首輪を着けることができずに
急遽新しく着けてもらったものなのだけれど

もう何度もそのコに咬まれている飼い主さんには、
付いているストッパーが固すぎて
今度は外すことができない、と。

そうだろうなあ。
これだけ、感覚が鋭いコだものなあ。
少しでも首にテンションや負担が加われば・・
いや、それ以前に、不安の中で首周りに触れられれば
間違いなく、死に物狂いでその牙を使うだろう。


今の首輪を外し、
別の首輪を着ける。

外すことも、着けることも、今のこのコには到底受け入れられないだろうけれど

このままでは、どうしようもない。
このコのQOLが低下したままなのを知りつつ
「ムリでーす」なんて無責任だろう。なんのためのプロなんだよ。

何とか方法がないか。
穏便に、なんて望まない。
そのコに嫌われようが(元々全く好かれてもいないけど)なんだろうが
ひとときストレスがかかろうが
とにかく、首輪をどうにかせねば。

オヤツ?
そんなもん使って、やれるならやってみな。
甘い褒め言葉も、食べ物も、警戒の対象にしかならない今のこのコに。

クリッカー?
こんな短時間で、ここまでの嫌悪と拒否感は消せやしないだろう。


考えて考えて考えて
挑んだものの
案の定渾身の抵抗と
死に物狂いの防御の攻撃。



その直後だった。

吹き荒れる嵐の黒雲が一瞬で消えるように
そのコが突然ワタシに体を預けて甘えはじめた。

優しく耳を倒し、目を細めて
柔らかい身体で緩やかに尻尾を振り

長椅子に座っているワタシの足の間に
何度も滑り込み、もたれ、身体を擦りつけて
「大好き、ねえ大好き」と甘えてくれた。

そのコのココロの扉がパーンと開いた瞬間

燦燦と降り注ぐ陽の光のような
明るく 暖かな「愛情」が
ワタシの中に一気に流れ込むのを感じた。
本当に、感じたんだ。


さっきまでそのコを覆い尽くしていた
冷たく黒く恐怖と憎しみに凍てついていたココロが氷解し

そのコが持つ「愛」と「大好き」に満ちた暖かさが
ワタシの身体が満ちるのを感じたとき

思わず号泣した。
なんて、なんて暖かなココロを持っているの。

普段人前では滅多に泣かないワタシだけど

涙が止まらなかった。

ココロを開いてくれた嬉しさと
そのコの持っている暖かさへの感動と
・・そのコの生き辛さを思って。

「キミは良い子だよ。分かってるよ。分かってる。」

「辛いね、辛いよなあ」

泣きながら何度も繰り返しながら
そのコの全身を撫で

甘えるそのコの首から
固いストッパーをずらし、そっと首輪を外した。
代わりに、新しくストッパーの外しやすい首輪をそっと着けた。

ちっとも、そのコは怒るどころか、嫌がりすらしなかった。
その間マズルに優しく触れようが
首周りを掻こうが
全く気にせず、「嬉しくてたまらない」といった様子で
全身全霊でワタシに甘えていた。
オヤツなんて、必要なかった。
とっても普通に、甘えん坊のワンコだった。


ひとしきり甘えたあと

そのコは満足してワタシに背を向けて離れていった。

もちろん、そんな時ワタシは引き留めないし、しつこくは触らない。
そのコが離れるままに任せる。

そのコが背を向けてワタシから立ち去って3歩


あんなに明るく暖かかったそのコのココロが
一瞬でまたあの暗くて冷たい、吹き荒れる嵐の黒雲に飲み込まれるのが分かった。

「来る」

その瞬間
そう、今笑顔でハグして立ち去った人が
3歩離れて振り返った瞬間、
般若の面に変わって包丁を振りかざして襲い掛かってくるような

そんな変化だった。


さっきまで心を通わせていた相手に向かって
何度も何度も執拗に攻撃し
そこには手加減もなく
ただ、怒りと憎しみと。


咄嗟に
唯一の「犬が咬めないポイント(首の真後ろ)」を掴んで
攻撃を封じたものの

繰り返すアタックに
ポイントを掴んだ左手に思わず添えた右手は
そのコの牙を受け止めることとなった。


傷 大小11箇所、9針。
20190404191917a05.jpg
犬が犬である限り・・必ず牙を持っている。
そしてその破壊力は、元々「命を奪って食らう」のに使われたものなのだ。


いつの間に?
201904041919055a0.jpg
覚えていられないほど、瞬間の闘い。
彼らの身体能力は、人間を遥かに超える。


「犬が咬む(噛む)」のには
いくつもの理由がある。

甘えるとき
要求を伝えたいとき
社会的コミュニケーションとして
身を守るとき
意にそぐわぬ相手に罰を与えるとき
獲物を狩るとき
転嫁したとき(八つ当たり的な)
テリトリーから相手を遠ざけるとき
繁殖相手を獲得するとき
資源を守るとき
順位闘争のとき
    etc.. etc..

しかしそれらの咬みは
いずれも確固たる理由がある。

自分の思いが通れば
それ以上に牙を使う必要はない。


しかし、例外がある。

器質的疾患と呼ばれるもの。

脳内物質などの異常が、脳機能に何らかの影響を与えるとき・・
せん妄、意識障害、統合失調症、解離性障害、不安障害etc..
(そんな時には、人間も同様に攻撃的になる時がある。)


首輪を拒否した時の咬みは明らかに防御性であったけれども
愛情を示した直後の咬みは・・突発的かつ理不尽としか捉えようがない。

そういえば飼い主さんも、
「甘えてきたのを撫でていた直後に咬まれたことがある」
と言っていた。

愛情を司る脳内物質が出ると
何らかの誤作動を起こし攻撃スイッチが入ってしまう・・?

脳科学に関しては素人なので分からないけれど
もしも
愛情が攻撃のトリガーになることがあるのだとしたら

なんて哀しいことだろう。
なんて残酷なことだろう。


このコの中には、本当は
あんなにも暖かで優しさに満ちた太陽があるのに。
甘えたくて、愛したくて、触れあいたくて。

だけど、禍々しい何かが・・
冷たく暗い嵐の黒雲となり
「そうはさせない」と一瞬顔をのぞかせた太陽を覆い隠す。

そんな相反する感情の変化の中で
抗うすべもなく翻弄されるそのコが

あまりにかわいそうで哀しくて

そしてそのコと暮らす飼い主さんたちの
困惑と不安と悲しみを想うとき

咬まれた傷の痛みも忘れて
怒りと腹立たしさに大声で怒鳴りたい気分だった。
・・大声で怒鳴って、大暴れしたかった。(タチの悪い酔っ払いみたいに)



形さえその犬種ならば商品価値があると

両親の性格も気質も遺伝性疾患も
売れた後のことはどーでも良いと
乱繁殖を繰り返すブリーダーとは名ばかりの繁殖屋たち。

幼犬にとって
あまりに過酷な流通形態を容認するこの国。

犬がヒトと暮らすための一番大切な時期に
ネグレストに値する飼育方法で
狭い展示ケージに閉じ込め、
その精神が蝕まれようともお構いなしのペットショップ。

危い状態でようやく家庭にたどり着いた幼犬たちに
傷ついた彼らの精神を癒すよりも先に
「しつけ」と称して
ニンゲンにとって都合の良い「お利口さん」を強いるしつけ業界。

ココロを育て、「愛着」によって飼い主さんとの絆を育むことをせず
ただただ食べ物を使い
オヤツジャンキーにしながら
思い通りの動きをする犬に育てようとするなら、それも同罪だ。


形は違えども
そんな人間のエゴ丸出しの被害者となって
様々な辛さを抱えている他のコたちも混然となって思い浮かび


ロクデナシ全てに向かって

飼い主さんとそのコたちの苦しみを知れ!!!!!と

胸ぐらを掴んで怒鳴ってやりたかった。
やり場のない怒りと悔しさで、さっきとは全く違う涙が出た。





願わくば

キミの中に棲むまうその禍々しい魔物を
ワタシの傷の中に置いてゆけ。

その短い命を
暖かな愛でいっぱいの時間にできるのなら。それも本望だ。


だけど、現実は甘ったるいおとぎ話じゃない。
もっと脳や精神に詳しい行動治療の専門家の力がいる。
薬の力を借りる必要がある。
・・そこから先は、もうワタシの力の及ぶものではない。
今の自分にできることは
あまりに小さく少ないことを突き付けられた。

だけどあのわずかな時間
あのコが見せてくれた美しく暖かな太陽は
間違いなく、あのコの中にある。
今は、それを信じることしかできないのが、悔しい。


起きている間中、何をしてても常に
右手を覆う包帯が視界に入る。
その度に、あの時のことが何度もフラッシュバックする。
太陽と、嵐の黒雲と。混乱。


痛い。痛いよ。

だけど
痛いのは

傷じゃない。

ココロだ。


この傷の深さは
飼い主さんと、あのコのココロの傷の深さだ。













スポンサーサイト

One from the Heart

今年もやってます。

「ツリーに飾ったクッキーをもらおう♪」
2018121309315007b.jpg
どのペアも、なんともステキなシーンなのです。

ツリーに飛びついたり
リボンをかじろうとしたりするコも当然おりますが

みんな、すぐにしなくなる。


そして、飼い主さんのそばで
ちょこんと取ってもらうのを待てるようになるのです。

それは、

GK9の飼い主さんたちは

「きちんと止める」
ができるから。

オヤツで気をそらしたりなんかしない。
物理的な柵やリードも使わない。

言葉と動き・・
コミュニケーションで、
「行かないでね、待っててね」
を伝える。

伝える飼い主さんと、
それを受け取るワンコ。

それこそが、「ステキな関係」なんじゃない?
(もちろん、後で「ありがとね♪」は忘れたらあかんけど)


叱らない、否定しない。
失敗させない環境を作り、成功させてほめる。
行動学に基づいた行動形成。

それらはとっても大切なことやし、
不必要な叱りや否定は百害あって一利なし、なんやけど


しかし
それらにこだわるあまり

「自分の意思を伝えようとすること」
という

コミュニケーションの
基本の基本の基本を忘れてしまってはいないだろうか。


オペラント、古典的、逆条件付け etc・・
どれも理にかなった行動理論ではあるけれど

キューにすぐに従える
いくつものキューを正確かつ的確に遂行する
そんなワンコもとってもお利口さんやと思うけれど


「コミュニケーション」を忘れた関係に
ワタシは魅力をこれっぽっちも感じない。

一緒に笑って
一緒に困って
一緒に相談して
一緒に喜んで
一緒に悲しんで
一緒に大喧嘩して
一緒に仲直りして。

そうやって一緒に生きる。

豊かに。
深く。

彼らと向き合うとき
必要なものは多分そんなに多くない。

One from the Heart


何万年も前からの友人に
頭でっかちな付き合いは必要ない。


B、F、A、R、L、M、D、T、H、K・・
ねえみんな・・今何してる?

逢いたいよ。






進むリスペクト、進まないリスペクト

「いつもW先生が言ってることと同じだー!、って
とっても感動しました~!」

と友人からLINEを頂き。


ノーベル賞を受賞した本庶佑氏のコメント

「教科書が全て正しかったら、科学の進歩はない。

教科書に書いてあることも、
実は間違っていることがたくさんある。

それを正してさらに前に進んでいく、ということ。
だから基本は人が言っていること、
教科書に書いてあることを全て信じない。

信じてしまったら、そこで進歩がない、ということになる。

なぜかと疑って行くことが重要」




教科書や肩書きのある人の言うことだからって

全て鵜呑みにしちゃダメ、と

必ず自分自身で検証して、
自分で犬に聞いて、

自分で咀嚼して自分の身体に落とし込もうよ、と

このブログでも何度も書いてるし、
耳にタコができるほどいつも周りに言い続けてるねんけど


実際のところ、

「ちょっとした変わりモン」

「反体制的な危ないヤツ」

程度にしか認識されてないんかもな・・
と感じることも正直あったりな。^^;


多分この教科書、ってやつは
「安心材料」にもなり得るもので

だって、○○先生がそう言ったのだもの
(だからきっと間違いなんて書いてないし~)

だって、○○な肩書きの人がそう言うのだから
(だから自身で検証する必要ないし~)

自分は”その教科書”を覚えればいい。
(疑いを持つなんて、だいそれたことだし~)


しかしワタシは、どうにもそういう考え方を
好きになれなくて。

それが先人への”感謝とリスペクト”とは到底思えんくて。

むしろ、自身で考える責任、
自身で負う責任を放棄していないか?と。


ここまでの形を創りあげてきてくれた先人への努力を鑑み

そのまま椅子に座ってコピーをもらうだけなのか?
それとも、さらに磨きを加え、自分の足で一歩前進させるのか?

ワタシは、後者でありたい、と願う。

また、先人も後者を望むであろう、と信じたい。



犬のことなんて分からないことだらけで

ニンゲンである限り(犬でない限り)
誰一人、絶対の正解など知る人がいる訳もなく

だけどもしかしたら”自分”が

先人の研究を足掛かりに
さらにもう一歩

その”本当”に近づけるかもしれない。
近づきたい。見つけたい。



その枠の外の一歩は

「はみだした」のか?

それとも、
「踏み出した」のか?



どちらかと言えば
「はみ出したヤツ」と取られることの多い業界やけど
そこからして、認識を変えていかなければダメ。

ワタシはやっぱり、喜んでフレームブレイカーになろう。

守るのは組織と自分のため、
見つけるのは自分と、犬と、飼い主さんのため。

そう思うから。



本庶さん、ありがとう。

フレームブレイカーのあなたがいたからこそ、

ワタシたちガン患者は、
希望の光を見上げることができました。















若犬たちの権利

それなりの期間
犬たちにかかわってきたけれども

まだまだ多方面の勉強は必要で
日々セッセと色んなものを積み重ねておりますが

「子犬のしつけ方」的な情報のリサーチをするたびに

「ふぇ~~~~(溜息)」
と思ってしまうのですね。


なぜ、世の中のしつけ情報は
子犬や若犬を”落ち着かせる方法”ばかりを声高に訴えるのだろう。


まるで、元気なことが悪いことのように。


幼い犬や若い犬たちには、元気でやんちゃである権利がある。

誰しも・・自分もそうであったように、
幼い頃から、一度もはしゃいだことがない
親の手を煩わせたことがない
なんていう人はいないはずなのにな。

「落ち着かせましょう」
「落ち着くまで無視しましょう」
「落ち着かせるために」
etc・・

え、そんなに元気な犬は悪い犬なん??
(少なくとも、そんな印象を植え付けへん??)


いつもいつも、大人しく静かにしてろ、なんて
ワタシは犬たちによう教えへん。(教えたくもないし)

風のように全速力で走る犬の美しさ
卓越した身体能力でオモチャに挑む動きの見事さ
そんな姿を見てると、ゾクゾクする。
え、こんなスゴイ種族が、ニンゲンの味方でいてくれるなんて!


「もー!」とか言いながらも、心のどこかではやんちゃであることを許す。
そんなお父さんお母さんなら、最高やんな。


だからと言って、何も止めない、教えないというわけちゃうんよ。
今は思いっきり遊ぶ、
今は静かにする、
そのメリハリを教えるのが「家庭犬育て」やと思ってる。

そう、そこにはメリハリがあるべきで
平坦な精神状態の落ち着いた犬ばかりを目指すのは、
活動的な彼らにとっては、辛すぎへんかな。



最近、GK9には陽性強化以外の
多方面の犬のトレーニング法を学んできた
若い子たちが研修生に増えてきて

そやけどみんな、犬と遊ぶのがすごくうまい。
だから、すぐに仲良しになる。

オヤツも甲高い褒め言葉も使わず
自分の身体と身のこなし、そして笑顔のコミュニケーションで
すぐに犬たちのココロを掴むんな。

そこにはココロとココロ(感情と感情)の交流があって

「あー、彼らは親友になったな」
て感じる。


犬って
オヤツを見上げる眼はギラギラしてるんやけど
好きな人を見上げる眼はキラキラしてるんよなあ。


しつけ情報。
まるで元気な犬が悪い犬であるかのように、
子犬の頃から「落ち着かせる方法」ばかりを推奨する事はもうやめよう。

それよりも、若くてエネルギー溢れる犬達と、どうやって楽しく遊ぶか?
その情報をいっぱい伝えるべきであると思う。

「落ち着かせる」のではなくて
「落ち着ける」ように。


さて、「犬のしつけのお勉強」をしている私達は、
自分の犬、あるいは若くエネルギッシュな犬達を
キラキラの瞳で満足させるような遊び方ができるだろうか?





しつけ教室は進んでいるか

こちらでは未曽有の大雨も
ようやく収束を迎えつつありますが

皆さまのところは大丈夫でしたでしょうか。

たくさんの方々から「そっち、大丈夫!?」のお声をかけて頂き
ああ、こんなに気にかけて頂いてるんだなぁと
有難い気持ちでいっぱいです。
心配して下さった方、ほんまにありがとうございます。

被害に遭われた方、不便な生活を余儀なくされている方・・
一日も早く平穏な日々が戻りますように、
心から願っております。


今回の災害で
家族と共に救出されるわんこたちの様子が
何度かTVで放映されてましたね。

ああー・・ボートに一緒に乗せてもらえてよかった・・と
思うのと同時に

時代がひとつ進んだことも感じます。


以前はね、
災害時に家族と一緒にペットが救出されるシーンなんて、
放映されなかった。

もしもTVでそんなシーンが放映されようものなら

「人の命が最優先だろう!」
「こんな時に動物なんか助けてるとはけしからん」

という世論のクレームがすごいから、と聞いたことがあります。

実際、あの東日本大震災でも
救助に来たボートのスペースが空いているにもかかわらず
「犬は乗せられない」と断られた、と
被災者の方から直接話をききました。
(逆に、一緒に助けてもらった、という話もありました)


家族と共にペットが救出されるシーンを
私が初めて公にTVで見たのは

3年前の東北豪雨で
河川決壊で屋根の上に逃げのびたご夫婦とその飼い犬が
共にヘリで救助される様子だったかな。

「一緒に助けてもらえるんだ!」
という安堵と感謝を、今でも覚えてる。


しかし逆に言えば

そんなに長い間
家族と共にペットを救出することが
公のタブーになっていたのか・・ということも
改めて顧みることとなり

「それはなぜ?」
の疑問を改めて辿らなければならない、と感じます。


もちろん、極限の状態で
どの命を救い
どの命を見捨てるか
など
到底簡単に論じられるものなどではないし

その選択だって
断腸の思いや苦しみ、
後悔や悔いの傷がずっと残るものであろうし

ただ、
その理由が

「犬の存在が周りに迷惑をかける」
であっては欲しくない(そうであってはいけない)、と
思います。


それは災害時だけの話ではなく
今の生活の時点から

犬を飼う、ということが
「公害」
になっていてはいけない。

普段から苦々しく思っているのなら
緊急時なんか余計に受け入れられないやろう。



「しつけ」というものが
飼い主さんとの生活を円滑にするためのものに加え

周囲の社会に対しても
深いうなずきをもって受け入れられる
そのためのものであること。

だけど、周囲に受け入れられることを気にするあまり
自分の愛犬を受け入れられなくなるのも
これまた本末転倒で

バランスよく風通しの良い感覚を持つこと。


そのためにしつけ教室(インストラクター)ができること。
やらなきゃいけないこと。

それは、
考えて、考えて、考え続けて
それでもなお
簡単に答えなんか見つからないものではあるけれど

少なくとも
「しつけ教室はまあそれらしき事をしときゃいい」
なんてもんじゃ到底ないよなあ、と

改めてまた課題をもらった気がします。


時代は進んでる。
しつけ教室は?進んでいるか?









震災としつけ教室

地震、大丈夫でしたでしょうか。
被害に遭われた方々には、
一日も早く、日常と心の安寧が戻りますように・・
心から祈っています。

たくさんの方々から、ご心配頂きありがとうございました。
GK9、及びそのメンバーはバリバリ大丈夫です!
(日本語ちょっとおかしい・・)

余震とこの大雨、補佐役と相談して、
飼い主さんとワンコの安全を考えて、
今日のレッスンは延期にすることに。

ぽっかり時間が空いたんで、
いつか書こうと思っていたことを書こうかな。
ちょっと長くなるかも。(いつもやろ)



今回の地震は
GK9の在り方を改めて考えるきっかけとなりました。
(まだまだ模索中ですけども)


東日本大震災で
被災動物の救援活動でしばらく石巻に滞在したとき

石巻の自宅に滞在させて下さった尊敬する先輩Y先生のお話
犬と猫であふれかえる動物救護センター
仮設住宅でワンコと暮らす被災者の方々

たくさんの方々の血の滲むような努力や勇気ある行動や苦悩を
目の当たりにさせて頂きました。

2018062013220794b.jpg


石巻中の仮設住宅を回り

ペットを飼う方々の支援のためのリストを作成したり
仮設住宅でのワンコの相談に乗ったり


2018062013215695c.jpg


想像を絶する経験をなさったであろうに

私が出会う方々は
本当にみなさん優しくて

自分の生命すら危ぶまれる状況の中でも

大切な彼らを守って 守り抜いて


20180620133423da3.jpg



明日の自分の生活さえままならぬ中で

ワンコを撫でる手はなお優しく

その周りには笑顔があって


201806201334007d4.jpg


「助けたつもりが、いつの間にか助けられている」
という飼い主さんの言葉に

「被災地では絶対に泣かない」と決めていたココロが
何度も折れそうになりました。


20180620132144ed0.jpg


同時にこの被災地での経験で
自分のスキルの薄さに気づくこととなりました。

当時、インストラクターとしてそれなりの年数、レッスンはしていましたが
それはやはりどこか

”しつけ教室でやるセオリー”を辿っていたに過ぎないことに気が付きました。

共に生きる(生き延びる)ためのしつけではなかったのです。



オビディエンス・・見事なオスワリやフセ、ツイテ、マテ。

そのカタチ(コマンドで指示された通りのポーズ)が、
こんな極限の状況で何の役に立つの?
一体、何を救うというの?



あのとき、必要だったのは
正確極まりないオビではなくて

人や人の手、そして人のすること・・
人の存在そのものに対する信頼感でした。



そう、正確なオビ(形・ポーズ)が、窮地を救うのではない。

人と犬が一緒になって
同じ目標(オビ)を通して会話を重ねた、その関係性が

危機に瀕しても一緒に乗り越えるチカラになる。絆となる。



GK9のレッスンにおいて、

単にカタチの出来だけを追求するのでなく

エサと行動学のみでカタチを教え込むのでなく

感情ある対話をしながら互いに互いのことを知ろう、
対話をしながら、深い関係を作ろう

そんなオビ哲学は、石巻の飼い主さんとワンコたちに
教えてもらったかな。

「オビのその先にあるもの」の存在。


そして
「インストラクターとは、飼い主にインストラクションする存在であって
直接犬をトレーニングする(触れる)者ではない」
というセオリーをブチ破って

子犬成犬に限らず
GK9インストラクターはワンコたちを抱きしめ直接リードを扱い
研修生にもガンガン撫でてもらってハンドリングしてもらう

そう、”第三者にも信頼を寄せる”こと

排他的になりやすい成犬でも
”他者との良いかかわりを持つ扉を開き続けること”が

ギリギリの時に彼らの生死を分けることすらあるのだと
思っています。


GK9というしつけ教室が、
来てくれるワンコたちに「お行儀の良さ」ばかりを求めず

「飼い主さんの許可をもらったら、おおいに胸に飛び込んで来い!」と
受け止める哲学は、そこにあります。


成犬クラスであっても、可能な限りリードフリーのセッションをし、

物理的制限がなくても
複数の犬で同じ室内で穏やかに過ごせることを目指すのも
同様の考えから。


あの経験は、今のGK9の色々な礎となっています。

20180620133629ed8.jpg


被災地に行って初めて、
「いかに今までの自分が多種多様の道具に頼っていたか」も
この時に痛感しました。

理想の首輪やリード
引っ張り防止のハーネス
無駄吠え防止の器械
ケージ
フェンス(仕切り)
おやつポーチに至るまで

何もない。
何も持たずに(持てずに)逃げのびた状態で

ただ、目の前にある
”この首輪とリード1本で”

自分ができることは、あまりに少なかった。


「それはやめるべし」と
ワンコに伝える(否定する)ことに罪悪感を持ち
ただただ
フードと褒め言葉でカウンターコマンディングを教えることしか
手札を持たなかった私は

フェンスがなければ止められない
引っ張り防止ハーネスがないと止められない
フードがないと行動の強化できない

・・何もできへんと同じやないか。


今までの自分が学んだことは
犬のしつけやトレーニングの中で
ほんのちっぽけなものだと突き付けられました。

なけなしのオモチャ程度の武器すら全て奪われて
素っ裸で戦場の真中に突っ立ってる自分。
守りたいのに、守れない。圧倒的な力不足。

その無力感と悔しさ。
「たとえ被災地でなくとも、これじゃダメだ」
という思い。


それ以来、先入観や流派を捨てて

「本当に必要なもの」
・・あのとき「欠けている」と感じたピースを
集め続けています。

まだまだ・・多分一生かかっても集めきれないだろうけど
あの時の自分より、少しはマシになったのかな。どうだろう。



GK9は、他のしつけ教室とはちょっと違うかもしれません。
やり方とか、考え方とか、目指すものとか。

でもそれは、
あの日あの時、未曽有の辛い経験をした
飼い主さんとワンコたちから教えてもらった

大切な大切な”命の吹き込まれたギフト”なのだと
思っています。









オビの意義

これってナニ?どゆこと??と
何年も考え続けてることがいっぱいあるんやけどさ

その中のひとつ

”オビディエンス”って何だろなー?
ずっとずっと考え続けてる。


いわゆる、オスワリとか、フセとか、マテとか。
日本語訳すると「服従訓練」なのだけれども

なんか、これってワタシ的にニュアンス違うねんなー。

ニンゲンのいう事を聞かせる(言う通りに動かす)もの
ニンゲンに服従させるためのもの

つまりは 犬の行動を支配し、押さえつけるためのもの?

うーん・・
ちゃうねん。なんかちゃうねん。


じゃあ、
なんでレッスンでやってんの?て話。

え、他の教室のインストラクターのみなさんは、何でオビやってんのやろ。
聞いてみたい。
オビをする意味。

「褒めるやさしいしつけ」の方法を使いつつ
「服従」を目指してるんやろか・・?

まさか、「しつけ教室ってば、こんな感じよね」て程度で
やってるワケじゃないよね。まさかね。

「そんなコト、考える必要ないし。」
なーんてね、あり得ないよね。

聞いてみたい。



そりゃあ、「○○ができれば○○の時に便利です」とかいうかもしれんけど
実際そういう部分も多々あるかもしれへんけど

家庭犬の日常においては
「形」を求めるオビ以外の解決策だってあるやんな?

たとえば、やで。
「オスワリ、マテ」なら
単に「動かないで待っててほしい」んやったら、
別にフセでも立っててもええやん。
待っててさえくれれば、どんなポーズでもええんちゃうん。

だけどオビでは
「オスワリはオスワリ」で「フセ」ではなくて
そのポーズの違いを犬に教え込む。

・・なんで?
何でそれが必要やと思うん??

うう、聞いてみたい。(ウズウズ)


もう何年も考え続けてるこの疑問に
ワタシなりの答えが少しずつ見つかってきて
まだまだハッキリとした形に固まっていないところも多いけど

○○できたら便利
○○できたら安全
という理由以外に
やっぱりオビってとても必要な場合がある、
それを教えることが必要な犬たちがいる、
ということを感覚で感じています。(だからレッスンでやってる)


オビがもたらす犬たちへの心理的影響。
それは、犬の気質によって実はいくつもの側面がある。

少なくとも、今まで3つの”オビの意義”(ワタシなりの)を
見つけて実践検証して
ほぼ確信しているのだけれど

今朝、4つめの大きな”意義”を発見(漠然としたものが形になった)しました。
ああ、そうか、そういうことか。
だから、必要なんだな。
だから、一部の犬たちのリハビリに効果があるんだ。(スッキリーーー♪)


その意義と意味を考えるからこそ、逆も見えてくる。
「あ、このコに必要なのはオビちゃうなー」とか
「このコはもうこれ以上オビはやめといた方がええなー」とか
そのトレーニングに弊害が出たときも、いち早くそれを見る目が持てるようになる。
(いくら”やさしいしつけ”でも、時と場合と状況によっては悪影響になることもある)


”当然○○は○○である”という先入観は

もしかしたら刷り込まれたものじゃないかもね。
自分で自分に刷り込んだものかもしれないよ。

俯瞰の目で見ること。
自分の目で見る。
自分の頭で、ココロで、考えてみる。

ひとつひとつのことを
考えることを放棄しない。

Be Professional!!




え、ワタシの考えるオビの意味を聞いてみたいって?


おっと、もうこんな時間か。
出かける準備しなくちゃ。


種は蒔いた。
花は自分で咲かせておくれ。







 | HOME | 

Graceのブロマガ

犬に興味のある方や、しつけインストラクター向けのディープな話題。ブログでは語りきれないGrace的思考のアレコレ。興味のある方はぜひ。(有料記事)

プロフィール

Grace

Author:Grace
ドッグトレーニングインストラクターにして、只今闘病中。乳がんステージⅢbからのサバイバルを目指しつつ、日々想ふことあれこれふわりふわり。

2014/2
7cm大腫瘍発覚
リンパ節転移
ステージⅢb

2014/3 
CVポート埋め込み
抗がん剤開始
FEC×4クール

2014/6 
ハーセプチン+ドセタキセル×4クール

2014/9/29
切除手術(右全摘)
腋窩リンパ節郭清

2014/11/4
ハーセプチン×14クール

2014/12/18
ホルモン治療タスオミン開始
(5年間予定)

2015/1/21
放射線治療25回 50Gy

カレンダー

06 | 2019/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

かうちゃん

ブログ内検索